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家づくりの約束事

我々が大切にしている思い

倒壊した我が家

我々が大切にしたい思いは代表者の経験を通して語られたものから形づくりられています。ここでは出発点となった太田の想いと、それを受けた「住宅みちしるべ」が大切にしていることをお伝えしたいと思います。

代表 太田周彰の想い

私、太田の自己紹介をさせて頂く際に必ずお話させて頂くことがあります。それは、私が何故この住宅建築業界に身を置くようになったのかのいきさつです。

そもそも、私がこの道を進むようになったのは平成7年1月17日の出来事がキッカケでした。

この日付だけですぐにピンと来る方もいらっしゃるかと思います。そう、この日は私の生き方を大きく変え、考え方を変えた日となった、あの阪神大震災があった日なのです。私は当時まだ学生、家の事情で大阪の祖父の家で下宿生活をしていました。私の実家は神戸のとなりの芦屋市というところにあり、その当時は両親と父方の祖父が住んでいました。

当時の実家は、父方の祖父が戦争を生き抜いて、高度成長期の時代に懸命に働いて建てた今ではもう見かけることがほとんど無くなった、古いタイプの小さなアパートでした。1階に祖父と祖母が住み、2階の一室を私達家族が住んでいました。
いま考えると、もの凄く小さな居住スペースでした。(なんせ玄関から入ってすぐが洗面所とキッチンと食事場でしたから^^)が、それでも普通に生活するには充分でした。

当時、私が大阪の祖父の家で下宿をしていたのは、あの阪神大震災があったちょうどその2週ほど前まで。私の父の仕事の都合で両親が四国で生活を送っていて、私自身は大阪の学校に通っていたからなのです。

平成7年の初めに再度転勤が決まり、両親は芦屋の実家に戻ってくることになりました。実家に戻ってくるにあたり、お風呂をリフォームした際のことです。リフォームの工事にあたった業者さんにこんな事を言われたそうです。

「この家は酷い手抜き工事の家ですね。」

と、祖父はそれを聞いて酷く落胆したそうです。

そして起こった、阪神大震災・・・

実家は全壊し、祖父は生き埋めとなって亡くなりました。私にとって、私を最高に可愛がってくれた祖父は最愛の存在でした。

それから、半年ほど我々家族は私が下宿していた大阪の祖父の家で避難生活を送る事になります。地震が起こって2ヶ月ほど。私はほとんど眠る事が出来ませんでした。目を閉じると、またあの揺れが起こりそうで怖かったのです。

私は眠れぬ夜を過ごすうちに様々な事を考えるようになりました。
最愛の祖父の死、しかも自分が汗水をたらして建てた家の崩壊によって・・・

祖父の無念を想うと、苦しくなりました。
そして、毎晩このようなことを考えているうちに、ある結論に至ったのです。

「もう、誰にもこんな思いをして欲しくない」
「家は安心して住めるべきものなんだ」と。

そうして、私は建築の道に進む事にしたのです。

代表者太田の詳細はコチラ

我々が大切にしたいこと

我々が家づくりにおいて、大切にしたいことは「安心して住める住まいの実現」です。代表の太田の経験を通して、地震に対する備えがとても大切です。しかし、建物はそれだけでは成立しません。

近年では、冬場の寒さが人の死に直結していることが様々な研究によって明らかになり、居住環境の重要性が明らかになりました。

また、地震で倒壊した建物をよく調査すると、建物の耐久性に問題があったケースも指摘されています。(代表の太田の実家も鉄骨の錆びなども一因のようです。)

これらを通して分かることは、住宅の初期の計画がとても重要だという事です。それは、間取りやデザインの計画だけでなく、その建物がどのように構成されているかがとても重要なのです。

我々は家づくりについて、日々進歩し、それをまた家づくりに還元することを大切にしています。日々のたゆまぬ努力こそが、より良い家づくりの原点となると確信しています。

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